日程:10月20日(土)
メンバー:単独
天候:晴れ
アクセス:電車
コースタイム:
9:42間藤駅発-(25分)-10:07古河橋着-(51分)-10:58舟石駐車場着-(準備等2分)-11:00登山口発-(46分)-11:46山頂着-(昼食28分)-12:14山頂発-(30分)-12:54舟石駐車場着-(41分)-13:35国民宿舎かじか荘着-(1時間15分)-14:50切幹の交差点着-(14分)-15:04原向駅着
上記コースタイムの概略図は、日光観光協会さんの足尾散策ガイドをご参考あれ。
http://www.nikko-jp.org/ashio/
※足尾商工会議所のHPによると、今回利用した舟石峠登山道以外に少なくとも5つのアプローチが出来るらしいが、どれも登山道や標識が未整備だったりするようで、実質的に備前楯山への一般登山客向けのコースは舟石峠登山道に限られるようです。
感想/記録:
かねてから興味があった足尾の山、備前楯山へ行ってきました。アプローチは例によって公共交通機関頼りのため、わたらせ渓谷鉄道に揺られて渡良瀬川の織りなす美しい渓谷の風景を車窓の外に眺めながら、のんびり足尾を目指します。
ちなみに、始点の桐生から終点の間藤までは片道1,080円。一日フリーパスは1,800円ですから、購入するとかなりオトクです。ただし、車内では発売しておらず、限られた駅の窓口で買わねばなりません。今回はそれを知らなかったため、ちょっと損をしてしまいました。
今回乗った車両には、観光目的の高齢者のみならず自転車でツーリングに来たグループやカメラ女子など多彩な顔触れ。ちなみに、運転手さんがめちゃくちゃ良い声してました。
さて、ここから古河橋を目指します。
この橋の名前の由来は、もちろん古河市兵衛です。明治初期、彼によって再生された足尾銅山は、日本の近代産業の発展を支えた一方で、足尾鉱毒事件にみられるように日本初の公害問題を引き起こしたことでも知られています。近代の光と影を象徴するような町と言えます。
既に閉山した今日では工場群や鉄橋、廃線などが往時の姿を残すのみとなっています(今でも稼働している所はあるらしい)。
いいですね~、この感じ。
(廃線)
故郷て
何処となく 何となく
仕方なくも
住慣た処だけに
其処 此処 彼処に
思い出が有り
離れがたし
捨てがたし
古河橋への途上、とある家のシャッターに書いてありました。これ、何か元ネタがあるんでしょうか?何かどうしようもなくセンチメンタルかつノスタルジックな気分を惹起させるというか・・・。この、「仕方なくも」というところに単純な故郷賛美ではないほろ苦さがあり、深みがあります。昭和に置き去りにされたような街並みの中で目にしたので、余計にじーんときてしまった。
交差点を左折して、渡良瀬川を渡ります。この橋の隣に古河橋が掛けられています。
古河橋は日本でも初期に建設されたトラス構造の鉄橋です。
普通に道路歩いて来ちゃったんだけど、今思えばもしかしてこの橋渡れたのかな?
ともかくも、ここから舟石駐車場を目指します。非常に長い山道です。入口から「熊注意」「落石注意」の看板があり、ビビりながら足早に歩きました。
舟石駐車場到着!
駐車場の奥に階段があり、登山道に続いています。これは登った後に駐車場の方を振り返って撮った写真。一応、汲み取り式のトイレがありました。
登山道はしょっぱなからこのススキ!金銀の穂が風にそよいでとても美しかったです。
ただしススキはすぐに途切れ、笹に覆われたイイ感じの林道に入ります。起伏も殆どなく、周りの景色を楽しみながら散歩気分で登れます。写真にもあるように、関東ふれあいの道としてきちんと整備されています。
山頂付近はやや急登となりますが、特に危なくはありません。
山頂到着~☆ケルンと三等三角点。
備前楯山の特徴は、なんといっても山頂が開けて眺望が良いことです。男体山はやはり雄大で存在感がある!まだ紅葉はイマイチでしたが、ところにより色づき、美しい景色を堪能させてくれました。また、麓も良く見渡せます。
中央やや右上、一番奥に三角の頭だけ出しているのが皇海山。
山頂は強風で非常に寒かった!岩陰でガスストーブを使用し、スープを飲みました。これだけなのにめちゃくちゃ美味しく感じるのが山マジック。
ちなみに、何故かロシア人の家族が登りに来ていました。何故あえて足尾なのか?と思いましたが、どうやらドライブの途中に沿線上の観光場所を訪れているらしく、この先も道路をてくてく歩いている最中に出会ったりしました。ちなみにロシア人と断定した理由は、家族のうちの一人の男の子が、母親に対して「Да!」と答えていたというだけ(笑)
ここから舟石峠駐車場まで下山し、元来た道とは反対方向へ歩きます。しばらくして見えてきたのが、国民宿舎かじか荘。
建物はだいぶ古そうですが、意外や利用客が多そうな雰囲気。もっとも、宿泊客というよりかは、立ち寄り温泉や食事がメインなのかもしれません。
ちなみにこの近くにはこんな慰霊塔があります。足尾の観光地図を見た時に、「中国人が足尾で殉難」というのがちょっと疑問だったのですが、なるほど、そういうことだったのですね。因みに、戦時期にあったこうした「徴用」は足尾のみならず、全国の鉱山で行われていたのもので、花岡事件などは特に有名です。こうした慰霊塔もまた全国的に見られるもののようです。
慰霊塔自体は階段を登ったところにあるのですが、気力がなかったので行きませんでした。結構立派なものみたい。なお、ここから更に下ったところに朝鮮人の慰霊碑もあるのですが、こちらは立て看板があるだけでいまいち不明瞭でした。
下りの道は渡良瀬川支流の庚申川に沿った山道。景色がとてもきれいなので、健脚の方は是非歩いてみて下さい。
(坑夫たちが労働の汗を流した浴場跡。なお、近くに小滝坑跡や火薬庫跡などがある。)
交差点に出てから渡良瀬川沿いを歩き、橋を渡ると原向駅が見えてきます。
やっぱり無人駅。
タイミングが悪く、次の便まで40分以上あったので、お茶を飲みつつ待ちました。
今回の山行は、登山する時間よりも登山口までのアプローチの方が長く、特にくだりは途中右脚の付け根が痛くなってちょっと気力が削がれそうになりました。
ただし、単に山に登るだけでなく、足尾の歴史を肌で感じることができ、非常に有意義な体験だったと思います。
この山域では庚申山にも興味があるのですが、修験道の山だけあって岩場鎖場なんでもござれのようなので、当分は行かないだろうなあ。
ところで、芥川龍之介の作品に「日光小品」(明治44年頃)というものがありまして、題名そのまま日光の所感をつれづれに書いたものなのですが、この中で足尾にも言及しています。
青空文庫でも公開しているので興味があれば是非一読いただきたいのですが、「工場」の段では肉体労働に従事する人間の生々しい臭気や躍動が感ぜられ、胸に迫るものがあります。
・・・彼らの銅のような筋肉を見給たまえ。彼らの勇ましい歌をきき給え。私たちの生活は彼らを思うたびにイラショナルなような気がしてくる。あるいは真に空虚な生活なのかもしれない。」
日本近代の華々しい発展を薄暗い現場で支えたのは、煤けた肌をした鋼のような坑夫たちでした。彼らは「目に一丁字無き」人々であり、「都会的」「文化的」ではなかったでしょうが、それ故に、芥川は彼らに対してどこか人間の原初的性質を純化したような部分を感じ取ったのかもしれません。
・・・もはや山行記録ではないような気がしますが、上手くまとまったので、今回はこれにて。
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